sedna_diary

FFVIXと勉強ブログ

怒ること叱る事は、同義である

アドラー心理学

本幸せになる勇気のアウトプットの続きです

 ------

  • 声をあげる
  • 机を叩く
  • 涙を流す

このように暴力ではなくても

相手を威圧し、自分の主張を押し通す

これらの低コストの暴力的なコミニケーション

 

言葉でのコミニケーションことをわずらわしく思い

手っ取り早く屈服させようと叱る

 

 

 

親、教育者は何をすべきなのか?

 

 

裁判官の立場を放棄すること

 

あなたには裁きを下す特権など与えられていない

 

 

 

あなたが守るべきものは秩序でも裁きでもない

目の前の子供、問題行動を起こした子供

 

 

 

 

 

暴力は人間としての未熟さを露呈するコミニケーション

 

やられた側は

「この人は未熟な人間なのだ」と無意識のうちに思う

 

 

未熟な人間を尊敬することができるか?

 

相手から尊敬されることを実感できるか?

 

 

怒りや暴力を伴うコミニケーションには

「尊敬」が存在しない

 

 

怒りとは

人と人を引き離す感情である

 

 

 

悪いあの人、かわいそうな私

 ⇓

私はそこに必要以上の価値を見なくていいい

すべて聞き流す

 

 

 

 

 

「変えられないもの」に執着しない

 

眼前の「変えられるもの」に直視することが大事

 

 

 

f:id:sedna_Output:20190727203040p:plain

変えられないものには受け入れる勇気を、変えられるものには変える勇気を

 

 

 

 

(感情)

本当そうだ

怒ってる人に対して尊敬の念なんてないですね

 

怒っても、意味がないし、疲れるし、無駄な行動だと思ったら

「なぜ、これをする必要があるのか」と冷静に話せる

 

子供でも理解できるぐらい

わかりやすく説明する

前向きな姿勢でお互い理解できた、納得してくれたそんな怒りがない日常

最高じゃないですか

 

 

 

目次答え合わせ

怒ることと叱ることは同義である

怒ることが感情 叱ることが理性

アドラー心理学では違うんですね 新しい考え楽しみです。

 

叱ると怒るはアドラー先生には一緒なんだな~

なるほどわからん(ぇ

なんだろう翻訳?誰か教えt